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☆1つです

 どうも、マズローの欲求階層説でいうところの第2段階をかろうじて生きる琥珀銀です。

 今回は新婚ココアさんを描かせて頂きました。ただまぁ実際に見知らぬヤローと結婚しましたなんて事になれば大炎上でしょうから、ここはチノちゃんと結婚しましたとかそんなイメージがよろしいでしょう。

 さて先日食べログが優越的地位の乱用で賠償命令を下されましたな。この食べログ、いわゆる評価サイトというやつですが、評価されたくないのに勝手に登録されるうえ、反抗的な態度を取ると評価が下げられるというなかなか悪徳な商売をやっているところであります。

 似たようなことはどうもGoogleでもやってるみたいなんですが、あっちは相手が米国資本なんで日本の司法では歯が立たないようです。しかしこの手の評価、ふと周りを見渡せば自分の周りにもまとわりついている印象があります。

 例えばTwitter。何か発言するたびにいいねの数だのなんだのと評価が即座に分かるようになっております。pixivでもそうでしょうな。若い人ならTikTokでもInstagramでもそうでしょうし、SNSに関して言えばほぼ評価されるためにやっていると言っていいでしょう。

 このあたり、実生活においてもやたらと点数付けされる機会が増えてきた印象があります。人間をスペック呼ばわりするようになったのはここ最近のことですが、それが婚活とかそういう人生を決めるような場にまで浸透してしまった感があります。

 これが米国になればさらにクレジットスコア、中国なら信用スコアって形ですでに浸透しており、まぁなんて言うか本来モノやサービスなどに用いられるだけだった☆評価が人間にも適用されつつあるようです。

 評価社会の先にあるディストピアはこれまで散々語られてきたことですから敢えてここで申し上げませんが、食べログにしろTwitterにしろやたらと評価をアテにするような姿勢はこのディストピアを招き入れている事に他ならないと私は考えます。

 人は独立した判断を求められると苦痛を感じるものです(≒責任を取りたくないなど)。そこに評価という判断のエクスキューズに使える指標があるのは確かに楽でしょう。けれどもそれに流された結果、何をするにも点数付けをする社会を生んでしまい、息苦しさを生んでいる気がしてなりません。

 個人的には何事にも点数付けというのは判断を誘導するばかりか、いずれは思考を支配しそうで怖いものを感じます。何というかこういうときこそ自分の直感というか、何も知らないときに感じた感情を思い出す事が大事なんじゃないかなと思った次第です。

 それではまた次回まで。