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上級国民とは何か

 どうも、最近終活を開始した琥珀銀です。とは言え独身非モテの終活とは、死ぬ→焼く→埋める→無縁仏(おわり)。つまり葬式無用、戒名不用ですな。なお、死して屍拾う者無し(2回リピート)。あれ、これって終活しなくていいんじゃね、と。

 ...えー、さて、今回はお説教モードのチノちゃんを描かせて頂きました。「ココアさんちゃんと片付けてください!」みたいな感じで。こういう表情を描くのは初めてかなぁと思っております。いや~やはり2次元はおこでも可愛いw

 それでは本日の話題に入ります。えぇ、これはいつかは触れねばならないと思っていたネタであります。タブーネタではありますが、そういうところに鉈を振るってこそ当サイトの日記の存在価値があるというモノです。

 なお、本文中には何人かの人物名が挙がりますが、犯罪者も含まれる事や平等性の観点から、全て敬称略とさせて頂きます。

 さて、最近になってにわかに騒がれ始めたこの上級国民、ネット上で広がった時期を見てみると、2015年のオリンピックエンブレム盗用事件が発端のようです。当時、沢山のエンブレム応募があったにも関わらず、余りにも恣意的に選出されたと批判されていたデザインが、さらにベルギーにあるリエージュという劇場のロゴにそっくり過ぎて盗用が疑われました。見てみれば分かりますが、申し開きのできないパクりっぷりで、素直に謝っておけば良いものを、デザインした佐野研二郎も五輪組織委も開き直り、『残念ながら、自分のこのような説明、それから佐野さんの説明は、専門家の間では十分分かり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね』などと釈明したため、上から目線過ぎるとして、2ちゃんねる(現:5ちゃんねる)の「なんJ」「嫌儲」と言った掲示板で「一般国民」の対比として上級国民という言葉が生まれました。

 上記の経緯により元々は上流の世界にいる権威者的な意味合いが強かったこの言葉ですが、最近になって身分を表す意味に変わっていったのは、みなさんご存じの通り飯塚幸三が起こした池袋暴走事故からです。10人が怪我、母子2人が死亡する大事故ですから、本来ならばすぐに逮捕され容疑者扱いされるべきところを、瑞宝重光章を授章したためか、それとも様々な取締役だったためか、逮捕はされないわ、マスコミは「さん付け」「元院長」報道するわで、相当国民の反感を買いました。なお、未だに逮捕も容疑者にもなっていません。逃亡の恐れがないため逮捕しないなどと言われていますが、同時期に起きた同様の事故は全て逮捕・容疑者になっていることから、「エラい人は悪いことしても逮捕されないんだー」となっています。

 なお、実はその前に同様の事例がおきています。中曽根康弘や福田康夫といった首相経験者を親族に持つ千野志麻(通称チノパン)というフリーアナウンサーが、男性一人をひき殺していながら罰金100万の量刑のみで逮捕されずに済んでいるのです。親族に忖度したのでは無いかと言われていますが、このときも上級国民という言葉がネット上で使われました。これは2013年頃の事で、上級国民と呼ぶ下地としてはこのときに既にできていたと言えます。

 また、上級への下剋上とされた事件もあります。秋葉原通り魔事件と呼ばれている事件がそれです。加藤智大が起こしたこの事件では、7人を死亡させ、10人が負傷を負いました。この事件の被害者の一人に、父親がNTT西日本取締役、叔父が前・日銀副総裁という相当な上級国民な人がおり、さらにその友人とされる人物がインタビューで「自分が負け組だからといって関係ない人達を巻き込む 本当に許せない」などと発言したため、一斉に負け組側と認識していた人達から反感を買い、加藤智大を上級国民を葬り去った負け組の英雄として見なす共感現象が起きました(のちに加藤本人はこれを否定)。

 上級国民は逮捕されないだけでなく、様々な権力を見せつけることがあります。例えば...

 ・事件を起こしたとしてもマスコミで報道されない、被害者側に非があるかの如く報道される、あるいは同様の事件を多く取り上げて矮小化させる
 ・自由であるはずのネット上ですら情報検閲とおぼしき状態になる(例:Wikipediaで記事にしても直ぐに消される、掲示板で記事が立てられない、NGワードになる、等
 ・被害者や被害者の側に立つ者/団体に謎の圧力や嫌がらせが起きる
 ・関係各所が結託して事件そのものが握り潰され、無かったことにされる
 ・上級国民自身が被害に遭った場合、それまで要望が無視されていた法整備や被害対策が非常に迅速に取られる

 罪刑法定主義の観点からすれば、罪を犯した者は法によって裁かれ、しかるべき刑を受けるべきです。不逮捕特権は憲法第50条に定める国会会期中の議員以外にあり得ないはずです。法律とは庶民を縛るものではなく、為政者による暴走を防ぐためのものです。憲法第14条1項にある「法の下の平等」という言葉の前には「すべて国民は」という例外を許さない事が明記されています。そこには上級も一般もありません。にもかかわらず、「ズル」が存在するようでは、もはや上に立つ者に下は従わなくなるでしょう。

 私は、今の日本人が世の中に強い不信感や深い絶望を抱いているからこそ、この言葉が出てきたんだと思っています。何というか、絶対的な権力者がいて、そいつらが全てを手にしていて、自分たちはもうどうにもならない、そんな感じがするのです。オリンピックエンブレムの時は冗談で済んでいた言葉だったはずなのに、いつしかみんな冗談ではないと感じるようになってきて、固定化された階級社会に日本が突入したんだと、そんな諦めの心がこの言葉に集約されている気がします。以前の日記で述べましたが、遺伝や生まれで人生が決まってしまい、努力が意味をなさない、そんな時代を生きていかなければならない絶望感が上級国民というパブリック・エナミーに似た存在を生み出したのだと思うのです。

 この言葉がどれくらい浸透していくかが今後の日本を占うバロメーターになるだろうと考えます。
 こんなことは許されない、そういう空気を作っていくだけでも世の中は変わっていくと思うんですがね。
 それでは、また次回まで。