禍福は糾える縄の如し

日記(よもやま)

 どうも、チノ誕絵を描くと今年も暮れていくなぁと実感する琥珀銀です。というわけで年末の風物詩、チノちゃんお誕生日絵を描かせて頂きました。二次元キャラは歳を取らない…はず。

 さてアレですな、クリスマスと年末年始が近づいてきましたな。そしてこの季節になると思い出す情景が一つありましてな。

 それがこのようなコインランドリーの忘れ物置き場です。クリスマスだの情景だのとロマンかき立てるもの言いをしながら何故にコインランドリーの忘れ物置き場かと言うと…

 それはとても寒いクリスマスの夜、カップルや家族が温かい部屋で過ごしていた頃、氷河期で職を無くしホームレスだった若き私は、雨風が凌げるコインランドリーに潜入し、忘れ物置き場から拝借した布団にくるまって暖を取っておりました。熱を出して動けず、ただただ震えて窓の外に降る雪を眺めながら、不意に景色が滲んだあの日のみじめさを思い出しておったのです。

 いやいやそう簡単にホームレスになどならんだろと思ったそこのアナタ、甘いです甘すぎです。実はその3ヶ月ほど前、私は今で言うブラック企業での残業160時間/月に耐えきれず、とある病気を発症して入院してしまいました。しかし当然残業代も出ない時代ですから、すぐに入院費で素寒貧となってしまいます。会社からは入院と同時に強制自己都合退職扱いになっていました。氷河期に流行した「お前の代わりなどいくらでもいる」の扱いです。今ならSNSで炎上させて圧をかけられる案件ですね。

 困窮する入院患者に対し当時の病院はどういう対応を取ったかというと、病院と提携しているカード会社に連絡を入れ、患者にカードローンを組ませます。つまり入院費を取りっぱぐれないようにするのです。そして退院後、返済など当然できない元患者の債権は貧困ビジネス業者に売り飛ばされ、二度と自立できない囲い込みへと突き落とされることになります。これも今ならSNS(略

 そんな末路が読めたので、私はカードローンの契約を頑なに拒み、約3ヶ月で半ば追い出されるような形で退院し、借金を抱えつつのホームレスへと相成り、冒頭のコインランドリーに繋がるわけであります。人間なんて塞翁が馬、転落なんてあっという間です。

 親や家族はどうしたって? ウチは両親というか祖父母(父方、母方とも)が立正佼○会ていう宗教団体にどっぷりでして、孫(つまり私)に悪いことが起きれば両親が祖父母から信心が足りないと責め立てられ…いや、この話は別の機会にしましょう。なおその教団は立憲民主党と協力・友好関係にあります。ゆえに私はあの党にだけは絶対に投票しません。

 今でこそ屋根のある場所で寝食を過ごせるようになったものの、娑婆に戻れたのは奇跡に近い。けれども私を含めて底辺氷河期サバイバーがその後、結婚したとか普通の生活を送っているという話は聞きません。この時期になるとコインランドリーと雪景色の思い出が、果たして俗世に戻れたことが良かったのかどうかと、今も私を自問自答させるのです。

 次回は年明けになるかと思います。
 皆様、良いお年を。