アタラクシア

どうも、ゼークトの組織論で言えば間違いなく銃殺刑の琥珀銀です。

ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、
ただ人間的な弱みしか持っていない。
無能、あらゆる点で、しかも完璧に。
~フランツ・カフカ

 今回はリゼちゃんお誕生日絵2023バージョンを描かせて頂きました。まぁ何度も言っていることではありますが、ボッチなんで人の誕生日祝うことより二次元キャラの誕生日祝うことの方が多いですな。
 さて冒頭は絶望人生の第一人者、フランツ・カフカ先生の名言を引用させていただきました。有名な絶望フレーズなんで氷河期の諸兄にはなじみのある言葉と言えるでしょう。もっとも、カフカ先生は女性を取っかえ引っかえしてますので我々の仲間ではありませんが。
 まぁなんつうか、ここんとこ生きていくうえでの圧がより高まってきていると痛感しますな。コロナに罹患したときもそうなのですが、とにかく支援とか行政の助けってのは一切なかったわけで。
 これについては昭和の互助や共助よりも自助、つまり自己責任の考え方が主流になったきたためかなと考えております。そして自己責任である以上、冒頭の無能は切り捨てられるのかなぁと。
 この無能について社会はどう考えているか。ビジネスパーソンが履修すべき必須科目としてドラッカーとか孫子がよく提示されます。ドラッカーは「組織は凡人をして非凡なことをさせるためにあるものである(1973年 マネジメント『課題、責任、実践』)」と述べ、孫子は「指揮官は平凡な兵士でも活躍できるように作戦を考えるのが任務(兵法 勢篇『故に、善く戦う者は、之を勢に求め、人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。』)」と記しているはずなのですが、実際のところ社会からの無能への扱いは冒頭のゼークトマネジメントが主流です。
 このような状況において我々のようなギリ健というかINFP型ってのはどうすべきかって言ったら、可能性の低い自身の能力向上にリソースを割くよりも、今の生活レベルを下げていく方がよっぽど現実的です。基本的に生活レベルとは承認欲求と資金力で決まりますから、身体と精神を貧乏生活に慣らしていくことになります。サイレントテロは社会に対する復讐ではなく我々の生活を守る手段です。なお、余談ですがサイレントテロはミニマリズムではありません。ミニマリストは足りないものをカネで解決するので立ち位置が全く異なります。
 そして実りある貧乏生活を実践するためには、これまた当サイトでさんざ指摘しているとおり、他人との関わりを極力避けて勝ち組コミュニティに近づかない様にすることです。その対象としては金持ちや権力者グループであったり、既婚者や非処女・非童貞になります。言うなればアドラー心理学を敵に回す姿勢です。
最後に、カフカ先生が遺した人生訓を紹介して締めたいと思います。

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

まぁ基本的に現実よりアニメとかそういう異次元世界での幸せを感じた方がよさげではあります。
それでは、また次回まで。