公正世界仮説

 どうも、コロナワクチン接種者は数ヶ月だか10年後だかに全員VAIDSになって滅ぶと聞き、人類もあっけなかったなぁと感慨にふける琥珀銀です。


 今回はココアさんお誕生日絵2022を描かせて頂きました。こういう青春の1ページを2次元で味わいたいものであります。
 さてアレですな、ここのところコロナで在宅の人が多かったせいか、ネットの様々な掲示板でこれまでより多くの人がいろいろな事象に対して書き込んでいるように感じますな。
 そもそも普通の人がネットに自分の意見を書くなんて事は、インターネットへのアクセスがブロードバンド化してもしばらくの間は起こりえない事でした。それはパソコンという「オタクの道具」を使わなければならないハードルがあったためです。仕事ならばともかく、趣味でパソコンなんてのはオタク以外なかったわけですな。
 ところがご存じの通りスティーブ・ジョブズがiPhoneを世に送り出してからスマホがコモディティ化したことにより、ユビキタスコンピューティングが浸透して普通の人もネットに接する時間が増え、オタクの世界に流れ込んできました。その結果大きく影響を受けたのがオタクの巣窟2ちゃんねる(当時)で、いわゆる”ねらー”とは明らかに異なる人種の流入に対してスマホキッズ(キッズはネットにおいては未熟などの意を持つ)であると違和感を感じたオタクが多かったようです。
 そして何が起こったか。これまでオタクの間では当たり前だった”オマエモナー”といった自虐感覚がタブーになりました。ちょっと自分を下げて今では死語となった「^^;」などの顔文字を語尾に使うような空気は失われ、ダイレクトにどれだけ自分が優れているか、どれだけ自分以外の”おまえら”は無能で無意味な存在かを煽っていくようになったのです。
 最初は「不細工童貞」「非モテキモオタ」「陰キャ/陽キャ」と言った古典的な煽りから始まり、徐々にライフスタイルを馬鹿にする「こどおじ(子供部屋おじさん)」に続いて、日本人に多いアデノイド顔貌を貶める「チー牛(すき家で3色チーズ牛丼を頼んでいそうな、いかにもな陰キャ)」とだんだんエスカレートしていき、仕舞いには知的障害児を意味する「ガイジ」などと侮蔑するようになりました。そこまでやらないと自分が他人より優れていると証明できなかったからでしょう。
 そして今日、それだけでは足らず相手を誹謗してこき下ろすと同時に自分を上げ盛る事が当たり前となっています。例えば年収に関する話題があったとしたら、不自然に年収1000万以上の人がゾロゾロ現れ出すのがそれです。日本の統計を見れば年収1000万以上がそこら中にいるわけないのですが、それがさも当然と振る舞うことで”そんな簡単なこともできないのか”と相手に屈辱を味あわせるのです。結果として自分には優越感を、他人には劣等感を植え付けることができます。他にも学歴は旧帝卒以上だとかセフレは10人以上キープしてるだとか、まるで昭和オヤジの飲み会自慢話です。
 これは何もテストステロン溢れる野郎どもの専売特許では無く、女性であっても弱者男性などと言い出していることから性差はありません。さらに今時の女性の場合、自分の写真を修正アプリで盛ったうえでこれが最低ラインの容姿などと話をしてきますから、現実を歪曲しているという点でより悪質です。
 私見ですが、このようなムーブメントは将来に大きな禍根を残す気がしてなりません。先ほどの年収1000万を例に取りますと、それが当たり前で出来なければ怠けていたり劣っているだけならば、日本に解決すべき貧困は存在しないことになってしまいます。今の日本において本当に年収1000万が最低限で普通ならそれでいいのですが、実際にはそうではありません。同様に旧帝卒が当たり前ならば学歴の低下は存在しないし、セフレ10人以上当たり前ならば少子化はあり得ません。
 これは、問題が起こっているのにその問題を無いことにしているのと同義です。みなが皆、自分のプライドを保つ為だけにそのような大本営発表を続け、問題を全て棚に上げて個人の資質や素行のせいだと決めつけていったら、将来どうなるかは言うまでもありません。待っているのは、現実から目をそらした結果もたらされる非可逆的な破綻です。
 ただ、一度でもドーパミンを放出する喜びを知ってしまったらそう簡単に止められないのが人間の本性なのでしょう。常に競争に勝たねばならない圧ばかりなので昔の自虐感覚に戻せとは言いませんが、誰でもハードル無くお手軽に劣等感から逃れられる発言ができる環境が整ったってのは、どこか空虚な感覚を伴わざるを得ません。
それでは、また次回まで。