断捨離のススメ

 どうも、令和ではお初ですな。2次元教誨師、琥珀銀です。さぁ3次元での罪を数え、悔い改め2次元へ帰依するのです(マテ


 さて、今回は何となく何か言いたげなシャロちゃんを描かせていただきました。原作では母親が登場したらしいですな。貧乏な生活は実は本人の意思で、実は良家のお嬢さんだった説が取り沙汰されているとか何とか。
 では本日の話題に入りたいと思います。本日はいわゆる断捨離についてです。日本が不景気になっていくにつれ、ミニマム生活・シンプル生活なんて言葉が流行り出してきました。まぁ、ぶっちゃけ一部の意識高い人を除けばお金がないんでどれだけ節約できるかっていうのが本当のところであると思います。
 断捨離という言葉はもともと、生活コンサルタントの山下英子氏が、インド仏教「ヨーガ」の行法哲学・思想からヒントを得て作った造語です。これは3つの「行(=修行)」から成り立っていて、(1)断行(だんぎょう:誘惑を拒否する)(2)捨行(しゃぎょう:俗世や持ち物を捨てる)(3)離行(りぎょう:欲望から離れる)をまとめたものです。なお断捨離の言葉自体は氏の登録商標(第4787094号)であり、そういう仏教用語がある訳ではありません。言葉自体は生活お片付けの手法みたいな扱いをしておりますが、オリジナルの断行・捨行・離行は俗世から離れ、悟りを開くために一切の欲望から身を引く修行の一種となります。ここでは生活お片付けな観点では無い言葉として語りたいと思います。
 俗世の欲望…色々ありますよね。ただ、ウチら非モテ独身は割と望むとも望まぬとも体現しているところがあります。女性は抱かないし、ギラギラしたカネカネを好んでいるわけでも無い。彼女・クルマ・家・子供なんていう数百万〜数千万掛かるであろうモノは所有していない。生活だって、心静かに絵を描き、ネットに思いの丈を綴る…それが日々の過ごし方なところがあります。これ、2次元対象のお絵描きと文章だからアレかもしれないですが、絵描きの対象が仏で、写経してたら完全に仏僧のお勤めですよ。
 オタだから部屋中に2次元のポスター貼りまくりでフィギュア置きまくりの人もいるかもしれません。しかし、これだって全てポスターが曼荼羅でフィギュアが仏像だったらどうでしょう。やってる事は修行僧とあんまり変わらない気がするのです。まぁ、煩悩っていう意味では雲泥の差っていうか、誘惑も欲望も捨ててねぇじゃねぇかというのは取り敢えず置いといてください(マテ
 修行の一種である断行・捨行・離行ですが、先述の通りその目的は全てのしがらみから解放され解脱に至る事です。生活お片付けの断捨離は、あくまで身の回りをスッキリさせましょうと言うものでしかありませんが、ガチの「行」になるともっと過酷なものとなります。
 よく考えてみるとわかるのですが、誘惑を拒否し、俗世を捨て、欲望から離れた観点で見た場合、悟りを開くまでの間、自分の生命維持に必要な物以外は全て捨てることになります。最終的には、自らの肉体ですら捨て、魂の存在すらも輪廻の輪から外します。
 「あなた」を考えてみてください。この世の中で断行・捨行・離行が行われたとして、果たしてあなたは必要なものとして残されるでしょうか。我々氷河期が周りから散々言われ尽くした言葉ですが、実際のところは「代わりはいくらでもいる」ものです。いや、私には家族と子供達から必要とされていて云々って言うかもしれませんが、あなたの家族と子供の存在が、この世の中に必須の存在だと思いますか。平成では災害による死者が多く出ましたが、それで社会が終わったかというと終わってません。地球の裏側で誰かに愛された人が死んだかもしれない、けれどもそれをあなたは知ることなく過ごす。いくらたった一つの大切なとか言っても、結局それは個人の感想でしかありません。本音が出やすい匿名のネットを見ればわかる通り、他人はあなたに興味はない。この世の中、たとえ首相であろうと天皇であろうと、居なくなったら居なくなったでいくらでも代わりがいて、世の中は進んでいくのです。この「行」は、それに気づくことから始まります。
 これは残酷な考えだと思う人もいるでしょう。ただ実際、本当に必要なものって、実はこの世に存在してないんです。それに気づき、一切のものは無、または無に帰すものであるとして世の中を見渡してみると、世界観が変わります。物事への執着心というか、今抱え込んでいる悩み事なんかも、結局無であると悟れる境地に達した時、それはあなたが真のヒューマンビーイングに到達したといえます。おめでとうございます、あなたは断行・捨行・離行を真の意味で会得しました。
 まぁ、実際はここまでの境地に達せられる人はほとんどいません。ただ、断行・捨行・離行を意味する言葉が、胡散臭いオバさんコンサルタントによって軽々しく使われているなぁと思ったので一筆したためた次第です。
 それでは、また次回まで。