人として軸がぶれている

 こんばんは。そろそろ終活を始めようかと思っている琥珀銀です。何事も早めの準備が大事ですよね。


 さて今回は久し振りにエロいのを一枚描かせて頂きました。鬼畜和菓子こと宇治松千夜ちゃんの霰もない姿でございます。ニーソだけ残しているのがポイントですな。
 では今日の話題をば。標題を見てぴーんときた人はなかなかの捻くれ者ですな。そう、今回の日記はそんなぴーんときた人のために送るメッセージでございます。
 そもそもウチらなんて他の人から見て、身も蓋もなく言えば変人ですよね。でまぁ、変人ってのは世の中で浮きますな。できればほっといて欲しいんですが、浮いてるが故に変に目立ちますな。んで、次に排除しようとしますな。世の中悪人を全て排除すれば善い人だけが残る。ブサイクを全て殺処分すれば美人イケメンだけが残る。優秀な人だけ(以下略)…みたいな感じで来ますな。
 なんか最近、そういうのが増えたなーって気がします。いやまぁ、オタクへの風当たりなんて昔からそうだったんですけどね。ここ最近は特に何か一つでも違っていれば、すぐに排除したがる圧力が日に日に強くなっていると感じます。
 まぁ確かにこれが、ナマポあるいは障害者年金みたいに税金で養われている存在ってんなら分からんでもないです。我々の税金が何故働いてもいない連中に支払わなければならないのだ! そんな奴らは殺処分だ! ってーのは一理ある。何故なら、自分の得るべき労働の対価の一部を不当に奪われているという理屈が成り立つからです。まぁいわゆる竹○平蔵思考ですな。やりすぎると夜警国家になるアレですわ。
 ただ、どうもよく分からんと思うのは「貴方と私は見ず知らずの他人だし、貴方には何も影響ないのでは?」な状態なのに、なぜかこっち側へ来て攻撃してくる人たちの存在ですな。なんかこう、特高もしくはゲシュタポみたいな役務でも担っているんでしょうか。なんか、何らかの強い感情が働いて駆り立てられているかのようです。
 これ、皆さんも身に覚えがあるはずです。結婚しろ、家クルマを買え、子供を作れ、いい歳してアニメなんか見るな、オタク趣味みっともない、童貞はキモい、貧乏人は日本の恥、etc…。などなど、変人でないと自称する人達からそんな圧力を今まで感じて来たと思うんです。
 これってどうなんでしょう。仮に自称変人でない、つまり「正義の側」に立つ人たちの言いなりになれば、それで全てが解決するんでしょうか。人としての正義って本当に全ての人にとっての正義なんでしょうか。どうも私思うに、それって自分より下を作って自分は正常だと、自分は優れているんだと安心したいためにやってる事なんじゃないの? という気がするのです。
 今は生き方が見えづらい時代です。これで正しかったのか、というのは誰しも思うところです。そんな時、自分を安心させられるのは、他の人と同じだから大丈夫っていうあの変な安心感です。それに縋らないと自分は間違ってないと確信が持てない。そして逆説的ですが、正しさを立証させられるのは、間違っている事の確認です。間違いが存在しなければ、正しいと確認できないのです。だから仮に彼らのいう通りに全て従っても、また彼らは新しい「正義」を作り出し、キリがないマウント合戦を続けるだけなんじゃないかなと思います。
 でもだからと言ってそれに付き合う義理はありません。彼らの精神安定剤として生贄になる気はさらさらありませんし、しっかりと距離を置きたい、そう思う次第です。人として軸がぶれている。いいじゃないですか、ウチらはひっそりと楽しく生きていきましょう。
それでは、また次回まで…。
参考資料:大槻ケンヂ「人として軸がぶれている