夢は枯野をかけ廻る

どうも、ネットダンゴムシこと琥珀銀です。なんかこのフレーズが気に入ってしまいましたわ。


 さて、今回はココアサンを描かせて頂きました。マッタリと森林浴しながらココアさんをはべらせつつおいしいコーヒーを頂く‥至福ですなぁ。‥いやまぁ、実際の社畜は自販機の缶コーヒー130円なんでしょうけどね‥。
 今日は夢なんていう曖昧な事をお話ししたいと思います。まぁなんつーか、人の原動力が夢見る事から始まるというのはよく言われていますな。何かを実現させたいと願う際、その『最初のステップ』はおそらく、夢見ることから始まると言って良いでしょう。
 しかし最近、私はその夢見る事が、敢えてここでは「夢見る力」と申しますが、それが弱くなっているのではないかと思うのです。ああなりたい、こうなりたいという夢を、ほとんど見ることが無くなった。
 絵が上手くなりたいとかアレしたいとかコレできるようになりたいとか…まぁなんでもいいんですが、その手の夢を想像すらしなくなっている自分に気づいたわけです。達観といえば聞こえはいいですが、要はそういうことを自分が考えちゃいけないと、無意識に自分を封じているっぽいのです。
 明るい明日を夢見る自分に対して、それを冷めた目で見る自分がだんだん大きくなっています。「そんな事起きるわけ無いだろう、おまえにそんな権利あるか?」 そんな声がいつも聞こえ、いつしか妄想すらしなくなっているのです。
 逆に言えば、その「声」に打ち克つ自分の強さが無くなっている。そんな事はない、自分だっていつかはできるはずだと、その「声」に反論できない。徒に馬齢を重ねて行くにつれ、計算だけは妙に正しくなり、さめた声に裏打ちされた経験が、不可能を可能にする夢を否定する。夢を見る途中で横やりが入る、『そんな事、自分に起きるわけ無い…』。
 でもこれじゃいけないような気がするのです。いきなり現実に打ち克てなんてのはムリだとしても、明るい妄想くらいはできるようにならないと、たぶん、『最初のステップ』にすらたどり着けなくなる。
 明日が自分にとって良い日になると、自分の望みは叶うのだと、私の『夢見る力』が冷笑的に笑う自分に克つ事ができたなら…
 明日は何かが変わるのではないか、という気がします。
 たまにはポジティブな事を書いてみました。
 それでは、また次回まで‥。