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可能性の誤謬

 どうも、塩パスタにもやし和えが飽きて贅沢にも納豆を混ぜて食ってる琥珀銀です。タレ付き3パック65円の西友は庶民の味方。

 今回はたわわなリゼちゃんを描かせて頂きました。うむ、やはりたわわは良いですな(セクハラ発言

 さてアレですな。ウチらみたいなKKOにとっては日々の生活において普通の人との付き合いに不具合が生じることが多いですな。

 というのも、いわゆるフツーの人が感じるフツーな感性というやつは、我々のようなKKOってな存在にとっては普通に感じられません。フツーに生活してたら○○くらいとっくに経験してるだろみたいなやつが彼らにとっての普通なんでしょうけども、我々にはそのいずれも未知未体験だったりするのがその一例です。

 もう想像ついているでしょうけども、彼女がいた経験だとかが最たるものですな。人生周回遅れと言えばわかりやすいのですが、まだその域に達していないのに当たり前のようにレベル以上を求められてしまうと、我々はそこで積みます。しかし普通の人たちはそれが普通であることから、我々はその足を引っ張ることになります。結果として、失望に似た空気がその場を支配することになるのです。

 こうなってしまう理由としては魅力も能力もないというハンデによるものなんですが、普通である彼らにとってそれは努力とかでなんとかなると思っている。もはやハードウェアスペックの差なのにそれが理解されない。両者の溝は深まるばかりです。

 たとえば私の場合、ぶっちゃけ生まれながらのバカです。ただ我々KKOてのはこういう、障害者レベルの一歩手前なのが多く、しかして障害者扱いもされず健常者群に組み込まれてしまうためこのような問題が発生しています。

 これはもうアレですよ、もうちょっと障害者手帳の幅を広げて頂くしかないと思うのですよ。つまり、介助者が必要なレベルにならないと手帳が発行されない現行の制度を見直し、馬鹿障害3級とか、恋愛障害1級とか、醜面障害特級とか、そういうこれまで見過ごされてきた社会不適合に対する救済を求めたい。

 そして単に要領が悪いだとか努力が足りないだとかで無理矢理働かせるような仕組みを見直すべきです。才能に関してはエリートが、女性に関してはイケメンがそれぞれ担当すれば良いのです。我々にはそのような役務から解放し、障害者年金生活を送らせていただきたい。

 そう、もはや誰もが才能と可能性に溢れているなどと夢想する時代は終わりました。才能を活かせるのは才能のある人だけです。ぶっちゃけもう現実の彼女だとか人生の成功とか要らないんで、一刻も早く障害者年金の範囲を広げて私に悠々自適な二次元マッタリ年金生活を提供すべきであると具申する次第であります。

 ...という寝言を書いてみましたが、まぁ甘えるなの一言で片付けられるだろうなぁと。
 それでは、また次回まで。