コギト・エルゴ・スム

 どうも、遺伝子の至上命令に失敗した琥珀銀です。


 今回は写ル○ですっぽいもので思い出作りのココアさんを描かせて頂きました。ちょっと前までこの手のやつがはやってましたな。
 さて、先日市役所に実印登録に行きましてな。この歳まで実印を必要としなかった、つまりクルマも家も買わなかったってことで見事なサイレントテロ人生を証明したわけですが、今後親に何かあったときとか考えると必要かと思い登録した次第です。
 しかしふと思ったことはですな、これ、この実印と身分証で私が私であることを公に証明できるってことなんでしょうけども、これら身分証などを一切合切失ったとき、誰が私を私と認めてくれるのかなと疑問になりましてな。
 これ実際に起こりうることでありまして、東日本大震災では命からがら避難した結果、身分証も何もかも無くしてしまった例があると聞きます。こうなると私が私である証拠は、私を知る他人からの証言に頼るしかなくなる訳なんですが、伴侶どころか恋人・友達もいないような身寄りが無い私になりますと、それすら困難になるであろうと容易に想像がつきます。なんかおかしい気がしないでも無いですが、私が私であることを証明するにあたり、私自身はなんの役にも立たないのです。
 そうなると何が困るか。まず、持っている預け入れ資産が軒並み引き出せなくなります。本人確認ができなくなるからです。住むところも失いますな。持ち家や鍵が残っていれば別ですが、貧乏ボロアパート住まいな賃貸の場合はそこの住人であると証明できず、追い出されてしまうことでしょう。さらに恐ろしいことに、背乗りの危険があります。身分証を取得した別の人間が私を名乗り、今の資産のみならず将来の資産(年金など)をすべてかっ攫うこともできるのです。勝手に何かの負債を契約されてしまうかもしれません。
 以上により、物理的な身分や権利を証明するものがいかに大事であるかが分かります。最近は銀行通帳を無くした口座などがありますが、こういうのは頂けません。銀行側のデータが吹っ飛んだら口座を持っている証拠が無くなるからです。はやりのeKYCにしても、物理的な身分証とセットで認証します。マイナンバーなどもスマホ一つで済ませるようにする計画があるようですが、やはりこれも物理カードを手放すのは大変危険であると言わざるを得ません。証拠が無ければ、抗弁の機会すら与えられないでしょう。
 つまり何が言いたいかというと、時代遅れとされつつあるハンコ文化や紙文化は私としては賛成ということであります。エビデンスをすべてオンラインに委ねるのは危険なことです。ましてや、我々のような味方してくれる人が誰もいないような存在ならばなおさらです。運用のフェーズではオンラインでいいと思うのですが、重要なポイントにおいては物理的なエビデンスを持つようにすべきでしょう。ハッキングや詐欺の脅威から逃げられない現代においては、オンラインから離れた場所にバックアップがあることは大変重要です。
 いやはや非モテぼっちはなかなか人生のハードルが高いですな。
 それでは、また次回まで。