どうも、最近やっと暑さが落ち着いてきたと思ったら風邪を引いた琥珀銀です。今回はフルールに潜入したフユさんを描かせて頂きました。お供に三匹が付いております。
さて、ふだん日記のタイトルはその日記内容に沿うようなマニアックな単語を添えるようにするも、敢えて説明しないというスタンスを取っておりますが、今回は話の出だしに必要なためちょっとご説明したいと思います。
「キャントリルの梯子」とは、アメリカの社会心理学者ハドレー・キャントリルが考案したもので、今の人生を階段に例えたら0段から10段までの何段目? という回答をさせることで、いまいち指標化しにくい幸福度を測定しようというものです。0段が最悪で10段が最高です。
数年に一度、新聞とかニュースで「先進国での幸福度調査で日本は最悪だった」なんて報道がされることがありますが、それに使われているのがこれになります。つまり、各国の国民に「アナタの人生の善し悪しを10段の階段に例えるなら、いまどの辺にいると思いますか?」ってな感じで聞いた結果を幸福度として示したものとなります。
んで、日本人は散々言われているとおり悲観的な人が多いことから幸福順位が下がるというわけです。その国の住環境とか豊かさとかで測っているのかと思いきや、完全に主観でアンケート結果な指標なんですな。いわゆる「幸せは自分の心が決める」by 相田みつを ってやつです。
まぁそういうわけでという事でもないんですが、自分の幸せの判断を迷わすような事をしない、あるいは知らなければそこそこ幸せに生きられるよねぇ、というのは私が再三言っているとおりです。そう、これを一言で言えば「要らんものに関わり合わない」と、これに尽きます。
確かに世界は混迷しVUCAだのTUNAだのBANIだのRUPTだの…あとなんだっけ、まぁ色々言われておりますけどね、自分に関係させなければどうという事は無いのです。幸いにして日本では人生に贅沢のオプションを付けなければどこその紛争国のように生死に関わることはないわけで、欲張らなければ人生の課題と困難はぐっと減らせるはずなんですわ。
今の時代のように承認欲求を膨らませて重い荷物を背負い込めば、そらキャントリルの梯子は1段も登れないでしょう。「そんな何者にもなれない人生でいいのか」とか詰めてくる人いますが、そういうのは勝ち組からの競争の誘いであって、乗ったが最後、貴方の背中に重い荷物がひとつ載っかるわけです。
ただこれ、私のように平均寿命が67歳と言われている独身氷河期世代という立場だからこのように達観できるのかもしれません。さらに平均寿命−9歳が健康寿命と言われてますから、実際は58歳くらいが我々の寿命だとすれば、もう棺桶に片足突っ込んでる状態です。そら未来に期待などしませんな。人生は死ぬまでの暇つぶし、てなもんです。
尤も、これは自分でそう判断すべきことであって、他人から「お前達は恵まれているんだ」などと強要すべきものではありません。それをやられたのがまさに我々氷河期世代であり(以下恨み辛み略
人間できることとできないことがあります。しかしどうも今のネットだのニュースだのあるいは世間の圧力とやらを見ていますと、無限の可能性とやらで無理をさせすぎている気がしてなりません。「幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だっただろう」的なパラドクスを感じます。
荷物を全部棄てろとは言いませんが、梯子を登れないほど荷物を抱え込ませるイマドキの風潮はどうなんだろ、と思う次第です。
それでは、また次回まで…
