ライフゲーム

日記(よもやま)

 どうも、新年を迎えました。諸事情により新年のご挨拶は辞退させていただきたい琥珀銀です。今回は年賀絵としてリゼさんを描かせて頂きました。目の描き方とか色調とか変えたらリゼさんと言い張るには無理がある出来になりましたが。

 今年も例年に漏れず温泉地に来ております。今回は北海道でなく雪国東北です。露天風呂まで遠くて結構寒いです。人のいないところってサイコー。

 さて、新年ですと新たな抱負などを述べたりするもんですが、近年あたりから抱負として聞こえてくるのは「生き残りをかけた云々」ばかりな気がします。まぁ確かにこの先生きのこるのも大変なこの世の中、当面の目標が生き残ることになるのは仕方ない事なのかもしれません。

 しかし、死んでないだけで生きてる訳でもないゾンビな私から言わせてもらえれば、皆さんずいぶんこの世にしがらみがあるのねぇなんて思ったりします。私も人並みに家族や子供を持ったりすれば、生存本能がもうちょっと機能したんでしょうか。

 とは言え、そういうゾンビ者から見ると生き残りを賭けた皆さんの行動はどうも首を傾げざるを得ない部分がありましてな。

 生き残れないって事はそのままだと死んでしまう状態、つまり、みなさん直接であれ間接であれなんらかの争いに巻き込まれている状態にあるんだと思われます。んで、戦う相手とは誰かというと当然人間と言えまして、もちろん大自然の脅威とかもあるんでしょうけど、ほとんどの場合、生き残りをかけるってイメージにはおそらく商売敵とか倒すべきライバルとか、まぁつまるところ人間を敵に見立てるさまである事は間違いない。

 以前この日記で述べたような気がするんですが、創造主とやらは進歩や成長そしてその先にある繁栄に関しては競争を前提で設計してしまった節があります。勝者以外は退場させるシステムですな。人類の叡智とやらで社会的弱者を守ろうという働きかけもあるにはあるようですが、人は神ではないゆえに、最終的は勝者最適の論理に従って行動してしまうようです。

 生き残りたいんであれば、実は戦うのではなく協力し合うのがいちばんいいんじゃないのと個人的には思います。けれど皆さん戦いに身を投じていく。戦えば平時より死が近づくのに何かと競争を好むし、勝利後はさらに苦しい戦いが続くように仕向けてしまう。これはアレですか、勝ち残って結婚できて子供残せたからとか、稼ぎのいい正社員の座を勝ち取ったからだとか、他よりも優秀な遺伝子に恵まれたからだとか、そういう成功体験がそうさせてしまうんでしょうか。

 もうみなさん何かのルールかなんかで動かされていて、眺めてると楽しい数理モデルを演じさせられてるのではという気がしてなりません。そしてそのルールから外れた個体、例えば私みたいなチー牛が現れたとき、猛烈な勢いで排除にかかるのもまた、すでに仕込まれたこの世のロジックと言えるかもしれない。

 そう考えると、あんまり生き残りに関して関心薄い私は異端であり、人間からも神のルールからも排除される運命なのかもしれません。つまり私が子孫残せない童貞なのは必然であると言え、そうとなれば、異端が今年からすべきことは婚活とかリスキリングなどではなく、来るべき退場の時を安寧として迎えられる終活なのではあるまいか、今年はそんなことを最初に思った次第です。

さてそれでは、私もこのサイトもいつまで続くか分かりませんが今年もよろしくお願いいたします。
それではまた次回まで。