10周年ありがとうございます

こんにちは。当サイトもついに10周年を迎える事ができました。これもひとえに来て下さる皆様のおかげと感謝しております。ギャラリーには10周年記念絵がございますので、こちらもご覧頂ければ幸いです。
さてここで、この10年を振り返ってみようかと思います。10年分を振り返るので結構長いです。お時間のあるときにお読み下さいませ。


今を去ること11年前、ワタクシ琥珀銀めは、以前運営していたサイトの失敗から落ち込んでおりました。勤めていた会社も、麻疹に罹った事によって入院2週間目にしてクビになり、その後も麻疹治療に用いた血清の副作用で血小板が減少し内臓出血の恐れが高まり、いつ再入院するか分からない爆弾を背負い、もはや私には、将来は派遣社員としてしか未来がありませんでした。
以前私は「桜木綺翔(さくらぎきしょう)」と名乗っていたのですが、以前のサイトの失敗により、その名前を使う事も許されない状況となってました。当時知り合いだった、ゆきにゃんさんおよび朝枝鈴夏さんに「七瀬櫻(ななせさくら)」という仮の名前を与えられて過ごしていました。なお余談ですが、私の描くCGにはnsixxx.jpgという番号が振られていますが、このnsiはNanase Sakura Imageの略称だったりします。
いつまでもいじけていても仕方ないので、とあるゲームの攻略サイトを始める事にしました。派遣社員だったんでヒマがあったんですね。ゲームの名前は「Talesweaver」、韓国のMMORPGでした。当時は日本語版が無く、ゲームを楽しむには該当国のアカウントを取る必要があったのですが、これが言語の壁で難しく、初心者が手を出しにくい状況でした。当サイトはそんな初心者の方でも簡単にプレイできるよう指南するサイトだったのです。

そのサイトの名前は銀色琥珀館。当時はYahooのディレクトリページに載るほどの知名度がありました。しかしながら皆さんご存じの通り、日本にブロードバンドが普及し、2ちゃんねるなどの情報サイトが一般にも普及してくると、韓国のアレでナニな点が明るみになり、日本人の嫌気を誘うようになりました。管理人・琥珀銀は在日ではないか。お前は売国奴だ。そのようなメールも届くようになりました。このままこのサイトを続けることは、私自身あまり乗り気では無くなってきたのです。(一応断っておきますが、私は先祖が会津藩の日本人です念のため)
今このサイトのメインコンテンツであるお絵かきは、その当時からコツコツと続けてはいましたが、あまり積極的に公開することはしていませんでした。自分の絵が下手だと自覚していたためです。しかしゲームコンテンツの公開を取りやめ、次にどんなサイトを作ってみようかと考えたとき、お絵かきで名乗りを上げてみるのも面白いんじゃ無いかと思いまして、サイトを立ち上げてみました。
当時は銀色琥珀館に寄り添うカタチで公開を開始したので、来て下さるだけでも感謝という意味を込めて、英語の謝意を意味するAcknowledgementからAcknowledge Einと名付けました。これがちょうど今から10年前の2003年1月8日の事です。

開設当時は「彼の国の法則」とやらが働いたのか、それとも単純に実力不足か、来場者は1日に数ヒットという惨憺たる有様でした。

状況が一変したのは2005年になってからです。どこから見つけてきたのか、晋遊社刊「Windows100% 2005年5月号」という雑誌に私のサイトが紹介され、ぽつぽつ人が集まるようになってきました。以下はその記事の抜粋です。(なお、以前は2002年アスキー発行のテックウィン1月号にも掲載されたこともありました)

その記事を見つけられたのか、検索サイト「ALL-NAVI」の管理人さんが、私に三代目サイト専属絵師にならないかと声をかけて下さいました。琥珀銀が絵描きとして正式に認められたのはこれが初めてです。

ここから当サイトはかなり安定した運営を続けることができるようになります。今は亡き「CG定点観測」にも捕捉されるようになり、お絵かきサイトとして順調に運営が出来るようになりました。ここで私の中に密かな目標が生まれます。それは、いつかコミケなどのイベントに出てみたい、というものです。
そこで何となく運営していたサイトの目標を、「いつかイベントに出る」という事に定めました。色々調べた結果、やはりここは経験者とお知り合いになり、そのノウハウと協力を得て進めるのが良いだろうと考えました。当時は同じ趣味で仲間を集うにはmixiが有名でしたので、まずはmixiから始めてみることにしました。当時のmixiは招待制で、仲間からのお誘いが無ければ入会出来なかったので、色々と裏口入学の方法を探ったのはいい思い出です。
入会して、月神るなさんと水龍敬さんと言う方が知り合いになって下さいました。彼らは「ファミレス原稿推進委員会」というのを進めていて、ファミレスで同人誌の原稿を描く集いを催していました。私もその仲間に入れて頂き、サイトのレイアウト担当をしました。

サイトの構成がどっかで見たような気がしませんか? 実はこの構成は没になりまして、しばらく使い道が無かったのですが、我がAcknowledge Einの日記ページで再活用することにしました。
「ファミレス原稿推進委員会」、略して「ファミ原」は良いところだったのは確かです。しかしながら、私とはだんだん合わなくなってきました。彼らは、リア充だったのです。そのリア充的思考に、私はついて行けなくなった。だんだん距離を置いて、いつしか彼らとは会わなくなりました。2007年頃の事です。私は決意しました。自分が非モテなので無理にリア充と仲良くなっても良いことは何も無いと。
2006年、mixiとは毛色の違うFilnというSNSが立ち上がりました。このサイトは招待制でなく誰でも入会が自由で、しかもオタク向けを謳っていました。これはかなり都合が良く、すぐに入会し色々とやり直すことにしました。

ぼちぼちサイトは進めていました。この頃からコミケの申し込みも始めてはいたのですが、落選続きでした。何がいけなかったのか、未だにわかりません。2008年頃、当サイトは100万ヒットを超えました。ALL-NAVIさんから流れてくるお客様のおかげでした。しかしそのALL-NAVIさんも2009年頃に消息を絶ってしまいます。当サイトの来場者数は、激減しました。
しかしながらFilnのおかげで新たな知り合いもできました。浅霧りらさんとkurikiさんです。浅霧さんについては当初から信頼を寄せていました。彼は同人の経験もありながら、決して同人の良いところばかりを見せようとせず、今自分が同人で苦しんでいるところ(在庫が多い等)も隠さず教えてくれたからです。kurikiさんについては正直、警戒しました。彼が最初にFilnでコンタクトを取ってきたとき、彼の依頼は「リア充の友達が彼女のことで悩んでいるから励まして欲しい」という内容だったためです。私の脳裏にファミ原の苦い思い出がよみがえりました。彼がリア充である可能性が高かったためです。彼とは、仲良くしつつも距離を置くことにしました。例えばイベントには挨拶に行くけれども決して名乗って顔を見せないなどです。この当時の私は軽い人間不信に陥っていたと思います。(その後、彼と初めて顔を合わせるのは2010年初コミケの時となります。その頃には彼も同類であったことが判明し今は警戒心はありません)
翌年2010年、初めてコミケに当選。

サークル名は銀色琥珀館としました。そう、このサイトの前身となったサイトの名前です。いつか、いつかこの名前を復活させたかったのです。銀色琥珀館をサークル名とすることで、あの当時のもやもやを吹き飛ばしたかった。
席はお誕生席を頂き、100部を完売しました。50部以上売り上げるサークルが全体の30%しかないと言われるコミケで、100部という数字は驚きとともに嬉しかったです。なおこの年、仲間を集ってくれたFilnがサービス終了しました。私は、コミュニケーションの舞台をTwitterに移すこととなります。
なお私事ですが、血小板不足による発作のようなものもほぼ無くなり、それなりの企業に正社員として働けることになりました。ここまで色々と長かったです。
2011年。2回目のコミケに参加。

新刊100部、既刊30部を全て完売。少しずつではありますがだんだんと自分の絵でも認めてくれる人がいるのかなと思い始めるのですが、この年から参加を開始したpixivで世間はそんな甘くない事を知ります。pixivが猛威をふるい始めたのもこの頃からではないでしょうか。CG定点観測サイトさんもこの年で更新を停止し、もはや個人サイトで絵を見せる時代では無くなった事を実感させられた年でもあります。
2012年。3回目のコミケに参加。

なんと壁配置! 驚きと戸惑いの中でのサークル参加となりました。頒布数は過去最高の150部を完売。正直、サイトの方は一時期の勢いは無くなりましたが、サークルとpixivの二本立てでこれからはやっていけるのかなと思い始めているところです。
なお、写真を見ると分かるように今回初めての委託を受けております。委託主はkurikiさん。売り子や買い出しもやって頂きました。気がつけば彼も、信頼の出来る仲間としてそばにいた感じです。なお、前回の日記でも書いたとおり浅霧さんにも売り子をお願いしました。このお二方は今や大事な人達です。
というわけで10年を駆け足で振り返ってみました。思えば個人孤独でやっていたものが、一時は挫折し、そして仲間が出来て、それに支えられてここまでやってこれた感があります。もちろん、このサイトを見に来て下さる皆様の存在もあってこそ、10年を乗り越えられたと感謝しております。
ここまでお読み下さりありがとうございました。これからも当サイトは地味に地味にマッタリと進めていきたい所存です。これからもよろしくお願い致します。