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しあわせの物差し

 どうも、在宅勤務とやらを味わう前に終わってしまった感のある琥珀銀です。

 今回は靴下を履いているつもりがぱんつ丸見えなのに気づかないココアさんを描いてみました。無防備っていいですよね。

 さてここんとこアレですな。新型コロナのせいか世の中すさんでますな。すれ違いざまに舌打ちとかモノに当たっている人とか多いですな。まぁ聞いたところによると、ここまですさんでいるのは首都圏だけだと言われてるみたいですが、みなさん余裕がありませんな。

 私思うに、ここまで最近すさんできたのは「いい年して●●もしてないなんて」みたいな、マウント取りが増えてきたからじゃないかなぁと思っております。いわゆる承認欲求のなれの果てというか、人様と同じでないとみっともないみたいなのが拡大している気がします。

 しかしその人様と同じってのがくせ者でして、例えば人並みの学歴、年収、身長、身分、などなど、一昔前なら誰でも到達できたことが今では難しい時代になってきたこともあり、難易度は上がっているのに基準は変わってないことから、それができない人を殊更こき下ろす風潮があります。

 これって多分、人の価値っていうか幸せの基準みたいなのが、昭和のまま固定してるかそれ以上増えていないからじゃないかなぁと思ってます。今の時代、今の時代ならではの幸せの形があっていいはずなんですが、それをみんな見つけられないし、見つかったとしても認めようとしない。幸せの物差しがとても少なく、かつ固定化し、それ以外を認めようとしないがために隙あらば不幸のカテゴリに貶めようとし、ゆえに皆さんイライラしている気がするのです。

 こうなんというかですね。例えば今日は道ばたできれいなお花が咲いていたとか、帰り際に猫と目が合ったらニャァーと応えてくれたとか、そういう小さなことを幸せの基準にしていいと思うのですよ。人と比べて何々できないから不幸だとか情けないとか、そういうノイズからは距離を置くべきだと思うんです。

 人の黒い部分の渦に巻き込まれないようにする。幸せの基準は人を基準にするんじゃなくて自分で見つけ出し、それを大事にする。そういう心構えがすさんだ世の中に流されない第一歩じゃないかなと思っています。

 それでは、今日はこの辺で。
 また次回お会いしましょう。