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実名制

 どうも、夏が全力でやってきましたな。四季ではなく二季になりつつあると感じる琥珀銀です。

 今回は着替え中に転んでしまったチノちゃんを描かせて頂きました。見ないようにするティッピーがポイントです。

 さて、アレですな。ここんとこ、氏名公開だのネット実名制ってやつが話題になっておりますな。

 これはTwitterで誹謗中傷された有名人がそれを苦に自殺してしまったことから、今後は匿名に隠れて好き勝手することは許さんということのようです。まぁ眺めていると、いつか実名制をやってやろうと手ぐすね引いていた連中が、この機に乗じて実名性を仕掛けてきたって感じがしなくもないんですが、中傷やり過ぎたんでしょうな。5ちゃんねるとかの閉じられた空間で好き勝手ならばまだ許されていたものの、実際に人様に突撃を仕掛けてしまったわけですからそりゃまぁ問題視されるでしょう。

 常識的に考えれば、現実世界でやっちゃいけないことは、ネットの世界でもやってはいけません。当然、他人様に「死ね」だのなんだの言っていいはずがありません。だからその「お仕置き」または「抑制」として実名制や氏名公開するぞってのは一定の意味があります。

 ところで実際のところ、どうでしょうか。例えば今、私の氏名が公開されたとしてどのくらい困るか。

 電話番号や住所までセットですと変な人からコンニチワされるかもしれないんで嫌ですが、氏名公開されたところでうーん...という気がします。というのも、元々私は非モテキモオタだと公言しておりますし、こういうサイトやTwitterのアカウントが私を知る人に知られても「まぁそういうヤツだから」で済まされそうです。そもそも、私のアカウントや日記では人様に「死ね」とか言ってませんからね...。

 実名が困る場合ってのは、罵詈雑言を人様に浴びせている人や、人の道を外れた悪行三昧な人だろうなと思います。であるならば、実名にしても問題ないはずだ...と言いたいところですが、やっぱエロ絵を描いていたりする場合は困るかもしれない。いや、その程度のヌルいものじゃなくて、例えばどこその悪の組織・団体から酷い目に遭わされ、抵抗するときに...おっと誰か来たようだ。

 この手の実名制で問題なのは、正論がポリコレ棒になって逆に人を攻撃する手段に使われてしまうことです。正論や性善説で行けば実名制でも問題ないはずなんですが、そもそもそうであるなら匿名でも問題ないって言う、逆説的なところもあります。結局のところ、人の悪意とか憎悪とかそういうのが解決されない限り、実名と匿名の綱引きは続くことになるだろうし、でも人の心から悪意がなくなることは考えられないから、多分解決しないだろうなーという気がしております。

 投げっぱなしの結論ですみません。
 それでは、また次回まで。