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キノトロピストは碩学的なシンギュラリティを望んだか

 どうも、年の瀬も迫り年末進行に追われている琥珀銀です。まぁ今年からコミケ参加ないんで、年末年始はゆっくりできそうではあります。

 さて、今年最後のイラストは裸エプロンのリゼちゃんを描かせていただきました。クリスマス絵はチノちゃんで既に描きましたんで、適当なネタで描かせて頂いた次第です。この時期ですとコミケ新刊とかグッズとかの告知になるんですが、今年はマッタリとやらせて頂いておりますわ。

 では今回の話題に入りたいと思います。最近のコンピューター界隈はアレですな、AIだのクラウドだのと言った「よく分からんけど凄いらしい」ってのが話題の中心になっていますな。その代わり、自作PCだとか、新たなハードウェアの革新みたいなのは鳴りを潜めてしまった感があります。

 そもそも今のコンピューター関連って、仮想化とか抽象化が進んでますよね。エンドユーザーがでーっかい機械をドーンと置いて、力技でアウトプットするようなのはもう時代遅れで、例えばAWSならブラウザ一つでVPC作って数クリックでインスタンス(サーバー)ができちゃいます。能力強化も思いのままで、物理サーバーなんていらない。物凄く楽って言えば楽なんですが、なんだろ、味気ないのです。

 子供の頃夢見たコンピューターとは、こう、沢山のモニタが市松模様でカラフルに明滅を繰り返し、あちこちで電子スパークを起こす妙なアンテナが実装された巨大なマシーンが、パンチカードとロールペーパーをバラバラ吐き出しながら轟音を轟かせ、そこへモラルも倫理観も絶望的に欠如したマッドサイエンティストが、「うひゃヒャヒャヒャ! これで世界はワシのもんじゃァァァァ!!」ってな狂気の雄叫びをあげるみたいなモンを想像しておりました。

 それに比べれば今の状況のなんと大人しいことよ。下手すりゃスマホぽちぽちでビッグデータ解析なんつー凄いサービス受けられちゃいますでしょ。スマートなんかも知れませんが、漢(おとこ)のロマンとしては物足りないのであります。機械を使っている実感が無いのであります。幾多の歯車がギッコンガッコン動きながら蒸気吹き出している中、巨大なレバーをガコッと倒すとニキシー管に数字が出るよーなのをですね、こう、あってもいいと思うのですよ。

 ...でまぁ、ここまでお読み頂いた上で今回のタイトルを見て気づかれた方もおられるかも知れませんが、これはまさにウィリアム・ギブスンが著した「ディファレンス・エンジン」の世界そのものです。サイバーパンクってヤツですな。今でこそ超複雑な事をやってるコンピューターではありますが、そもそもこれ計算機でしかありません。もうちょっと突っ込んで言えば、「2つの数を足す」「2つの数を引く」「2つの数を比較する」の3つの作業を高速に処理しているにすぎません。どんなに複雑なシステムでも、元を正せばこの3つの処理を力技で回しているのがコンピューターってやつなのです。

 で、そのアーキテクト(設計思想)に関して黎明期となる19世紀終わりごろ、どう実装するかで大雑把に言って2つ選択肢がありました。1つ目は今の主流となっている電子の流れで処理するやり方。多数のマイクロスイッチと真空管から端を発するこの方式は、今では当たり前となっています。もう一つは上述した歯車とかで巨大なそろばんを作り、出力させるやり方です。これは階差機関と呼ばれていました。発案者である数学者チャールズ・バベッジの名前は聞いたことがあるかもしれません。

 まぁ地球環境とか、お手軽さとか、固定資産持たなくていいとか、そういうのがあるんで今の方式が合っている事は間違いありません。ただ、あまりにも仮想化・抽象化したシステムは、間違いなくブラックボックスです。何か変なことが起きてもほぼ手が出せないし、気づけない。歯車ギッコンガッコンが良いとは言いませんが、何か異常があった時、人間の感性として変だなと気づけるのは歯車の方でしょう。今後AIとかが進歩した時、その結果がバグなどで間違っているにも関わらず、ブラックボックスが故に誰も気づかないまま何かの決断の材料にしてしまうのは、ちょっと怖い気がするなぁと思った次第です。

 さて、今年はここまでになります。皆さま良いお年を。
 また来年、お会いしましょう。