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知らぬが仏

 どうも、そろそろアーリーリタイアしてどこか人のいない寂れた山村で晴耕雨読の生活がしたい琥珀銀です。世捨て人っていう人の存在が子供の頃は分からなかったけど、今となっては良く分かる今日この頃。

 今回はお仕事モードのシャロちゃんを描かせて頂きました。お仕事モードでお客さまに接客中です。あぁいいですな、こういう店員さんがいるお店でゆっくりとお茶でもしばきたいところであります(2次元限定)

 さて、今日のお話は「知らぬが仏」をテーマに進めたいと思います。この言葉、周りは知ってるけど当人だけが気づいてない事を嘲っている意味ですが、実際問題として知らない方が幸せって事は多々あるんじゃないかと最近思うわけでありましてな。

 まぁよく言われるのは婚活。昔は身の回りの異性か紹介されたお見合いの相手からしか選べなかったのが、今や結婚相談サービスによってワンクリックで年収から顔面偏差値から何もかも分かり、更に優れた順にソートまで出来ちゃうもんだから、どんどん目が肥えていっていつまでたっても決まらないというヤツです。知ってしまったが故に「もっと良いものがあるに違いない」と終わりがなくなってしまう状態ですな。

 絵を描くことについても似たような事が言えます。せっかくこれからお絵描きを始めようとしているのに、ツイッターなりpixivなりでいきなり怒涛の神絵師の実力を突きつけられ自信をなくす。見なきゃいいと言われそうですが、作品を公開するにはこれらSNSに登録せねばならず、そうすると必然的にRTだの何だのと流れてくるので、どうしてもそれらが目に入りその実力差に愕然となりガックリとやる気を無くしてしまう。自分より上手い人がこれだけいる中で、こんなヘタレ絵を誰が見てくれようか。ちょっと前なら井の中の蛙くらい味わえたんですがねぇ。

 もちろん「法は知っている者の味方」と某帝王が言うように、知らなければ損する事は多々あります。特に国民に有利になる法などは下々の国民には全く知らさない様にするのがこの国のやり方なので、上級国民たちに嵌められないよう身を守る知識を備える事は大変重要です。がしかし、なんというか、他人の凄さとか人生の素晴らしさとか、そういうのは知らなくてもいいんじゃないかなーと思うんですわ。知ったところでどうにもならんし。

 しかし今や個人に現実を突きつけられる情報が簡単に(受け入れたくなくても)入ってくるだけでなく、ビッグデータだAIだと全体知で他人が個人を判定する時代になってきました。AIによって就活生を選別するなんてニュースも珍しくありません。下手すりゃ遺伝子レベルでその人の知能や才能まで判定できるとかなんとか言われています。今まで育ってくるまで分からなかったその人の将来の可能性だとかが生まれる前から分かってしまうそうな。

 読者層が経営者や役員を占めると言われる日経ビジネス2月19日号に、次のようなくだりがあります。

"「遺伝行動学」の第一人者、慶應義塾大学の安藤寿康教授はこう話す。例えばIQ(知能指数)は成人期初期で65%ほどが決まるが、執筆や音楽といった創造的能力は80%が生まれ持った資質で規定されてしまう。つまり、行動遺伝学の知見では、人間は生まれながらに「クリエーティブジョブ向き人材」と「そうでない人材」に分かれている<略>能力を得ようとしても「誰でも努力すれば得られるレベルにしか到達できず、労働市場で価値を生む能力には育たない」"

 ‥なんつうか、アレですな。労働市場ってか資本主義に頭っから洗脳されるとこういう思考になってしまうんだろうなぁという感じです。ノーベル賞受賞した江崎玲於奈氏も似たようなこと言ってたような気がしますが、一歩間違えれば選民思想と言うかデスティニープランとかシビュラシステムですよコレ。人の持つ知識が全体で共有され人が全知と錯覚し運用をはじめたときどうなるんでしょう。知らないから知りたい、できないからできるようになりたい。そんな人の願望を「キミは遺伝子的(またはAIの判定的に)に無駄。これは既知の事なんだ」と切り捨てる事が人にとって効率的かも知れないけど幸せなことなのか、私には甚だ疑問です。知ってしまう、知らされてしまうことが人間を支配するとき、それはディストピアの始まりにしか思えません。

 と言うわけで今回はここまでといたします。
 また次回お会いしましょう。


なお、慶應義塾大学の安藤某とやらには「神にでもなったつもりか」と言いたい気分ではあります。しかし、日経ビジネスに載るってことは、経営者はこれからこういうオカルトじみた事をやっていくんかねぇ‥