« 底辺絵師の野望 | Main | それでは、希望とは »

無敵の人

どうも、順調に人生の階段を踏み外している琥珀銀です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 今回は久々にエロいリゼちゃんを描かせて頂きました。やっぱり二次元はいいですな。何というか、心が洗われますわ(エロ絵を描いておきながら)。

 さて今回は「無敵の人」について語ってみたいと思います。この言葉、いわゆる体制側の人や勝ち組の人、権力のある人からはとーっても嫌われておりますな。いわく、何が無敵だ努力してないだけじゃないか、とか、こんなのを無敵と言うから日本がダメになるんだ、とか。

 ここで無敵の人について復習しておきましょう。教科書的な答えを言ってもつまらんので、私の個人的偏見で説明します。無敵の人とはいわゆる負け組の一種で、カネ無し運無し能力無しルックス無し彼女無し学歴無しモテた経験無し‥とないないづくしの人を指します。はい、ぶっちゃけ私の事です。んでなんでここで何も無いのが無敵に繋がるかと言いますと、何にも無いがゆえに失うものがない、つまり、何をしても何かを失う怖さがないから、普通の人なら躊躇するような反社会的行為をいとも簡単に行動に移せる人達だと見られていることから、無敵、と言われています。漫画風に言うなら「もう俺には何も無い! お前らまとめて地獄へ道連れだ!」ってなモンですわ。

 でまぁ、こんな考えの人間が増えたら、そりゃー勝ち組体制側に取っては脅威ですわ。国際的に言えばテロリスト、日本的に言えば秋葉原連続殺傷事件の犯人みたいなの(と、見なされる存在)が増えるわけで、自身や自身の大事な妻子が脅威に晒される。これは何としても排除すべき存在となります。体制側としては当然、「こんな人間になってはいけない!」と必死に啓発するでしょうなっていうか、してますな。

 でもね〜。多分こういう人はこれからガンガン増えていくと思うんですよね。だって社会がこれだけ競争を煽り、競争から落ちた人からは徹底的に搾取する今の社会構造じゃ、どうやったって一部の勝ち組と大勢の負け組に分かれてしまう。そしたら私‥じゃなかった負け組の方だって黙ってませんよ。どうせ犬の糞程度の存在としか見られていないのなら、どうせこれ以上失うものが何も無いのなら、せめて、てめーも不幸に巻き込んでやるって思うのは当然です。かくして、勝ち組対負け組の構図が出来上がる。上級国民対下級国民でもいいでしょう。

 では、そんな無敵の人は哀れな存在なのか。ここでは私の事にも繋がるので個人的所感になりますが、そうでもないような気がしております。多分、このサイトを長年一緒に見て下さった方は同じではないかと思うのですが、人生において、何もモテないというのは逆に、何も責任を負わなくて良いと言うことになります。クルマを持てば安全運転の義務が生じるし、家を買えばローンが付いてくる。結婚すれば妻と子の人生を背負わなければならない。思えば、私も若い頃はそんなクルマが欲しいとか家買いたいとか結婚してみたいと思っていた時期がありました。けれど今、人生の黄昏時に立ってみて、自分の能力的にこれらを背負っていたらどうなっていたか、考えるに人生が相当重かったのではないかと思うのです。弱みも増えるでしょうしねぇ。

 安っぽい人生、所詮軽い命、そのように他人からは見られていると自覚はしてます。けれど、今の厳しい社会をサバイバルしていくにあたり、背負う荷物が軽いのはメリットと言えるのではないでしょうか。何も我々は社会に対して牙を剥く必要は無いし、何より二次元という幸せがある。二次元が趣味じゃない人はご自分の趣味に没頭でもよいでしょう。勝ち組の幸せを否定はしませんが、どうも私から見てそれは欲望が強すぎてギラギラしすぎるのです。無敵の人とはこれら欲望から欲が薄い淡泊な人でもあります。他人の幸せを生暖かく見守りつつ、地味に地味にマッタリと日陰で小さな幸せを見つける生き方もアリだと思うのです。今後、国の試算では生涯未婚者は男性で3人に1人、女性で4人に1人になると言われています。我々の仲間が増えていくのを国も認めているわけです。ならば、弱み無きこの無敵の生き方こそが新しい幸せのかたちだと、私たちは胸を張ってもいいのではないでしょうか。

 以上、最近なんとなく思っていたことをつらつらと書いてみました。
 まぁ、人それぞれって事ですやね。それでは、また次回まで‥。